バウハウスの誕生
バウハウスの歴史をたどれば、19世紀イギリスのアーツ・アンド・クラフツ様式にさかのぼる。1896年、プロイセン政府はその成功の秘訣を探るため、ヘルマン・ムテジウスを6年間イギリスに派遣した。そして帰国後の彼の提言によって、国内の工芸学校を本格的な工房に拡張し、先端を行く芸術家たちを教師として招聘した。その結果、機械を積極的に利用して家具調度、織物、金属器具の製造を開始すると、ドイツはイギリスを追い越して工業化国家となった。同時期に産業を育成しグッドデザインを啓蒙するドイツ・ヴェルクブント(ドイツ工作連盟)をミュンヘンで結成した。設立連名者にはヘルマン・ムテジウス、ペーター・ベーレンス、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルドら12名の当時の最も著名な建築家が名を連ね、ペーターブルックマン社、ドイツ工房、その他12の団体や企業が加わった。必然的にそれらの企業はデザイナーとして建築家を雇用しはじめた。例えばAEG社はペーター・ベーレンスを起用し、ヤカンから建築に至るまでのすべてを統一的にデザインした最初の事例となった。ヴァルター・グロピウスはファグス靴型工場の設計で名声を獲得した翌年に、ヴェルクブントの会員になっている。
1914年、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデは自ら設立し、校長を務めていたヴァイマルの工芸学校を外国人と言う理由で追われた際、グロピウスを次の校長候補に推薦した。そしてワイマールにあったもうひとつの造形美術大学が1919年に建築と工芸部門を増設する際に、遂にグロピウスは新しい学長に選出された。同年4月12日、最も近代的な芸術学校、「ヴァイマル国立バウハウス(元大公立造形美術大学及び元大公立工芸学校の統一校)」が誕生した。
グロピウスはバウハウス宣言をドイツ全国に向けて発表し、その中で新しい学校の基本方針を宣言した。グロピウスは尊敬するブルーノ・タウトに大きな影響を受けていたという。例えばタウトは1918年発表の『建築プログラム』の中でこう述べた。「なぜなら工芸と彫塑あるいは絵画との間には境界はなく、すべては一つのもの、つまり建て築くことだからである」一方グロピウスの言葉はこうである。「共に作り上げようではないか。未来の新たなる建物を。それはすべて同じひとつの形態をとるであろう。建築も彫塑も絵画も」
(参考文献 マグダレーナ・ドロステ著『バウハウス』2011年、TASCHN)
(参考文献 マグダレーナ・ドロステ著『バウハウス』2011年、TASCHN)
バウハウス大学
Bauhaus
Universität
1911
Bauhaus
Universität
1911
住所 Geschwister-Scholl-Strasse 8, 99423 Weimar
設計 Henry van de Velde
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによって設計された2つの校舎は1919年のバウハウス設立から1925年のデッサウ移転まで用いられた。本校舎にはヴェルデ設計のユーゲントシュティールの優美ならせん階段や、バウハウスの壁画工房で学んだヘルベルト・バイヤーの幾何学的な壁画がある。馬蹄形の屋根がある小さな校舎はバウハウスの工房として使用された。現在はバウハウス大学となり、建築・都市計画、土木工学、芸術、デザイン・メディアの4部門の学生たちが学んでいる。
設計 Henry van de Velde
アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによって設計された2つの校舎は1919年のバウハウス設立から1925年のデッサウ移転まで用いられた。本校舎にはヴェルデ設計のユーゲントシュティールの優美ならせん階段や、バウハウスの壁画工房で学んだヘルベルト・バイヤーの幾何学的な壁画がある。馬蹄形の屋根がある小さな校舎はバウハウスの工房として使用された。現在はバウハウス大学となり、建築・都市計画、土木工学、芸術、デザイン・メディアの4部門の学生たちが学んでいる。
Photograph credit:
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE”, Atelier OPA.
© Yuki Sugihara and Toshihiko Suzuki, “NICHE”, Atelier OPA.
バウハウス博物館
Bauhaus Museum Weimar
2019
Bauhaus Museum Weimar
2019
住所 Stéphane-Hessel-Platz 1, 99423 Weimar
設計 Heike Hanada
バウハウス創立100年を記念して2019年4月に新たにオープンした博物館。バウハウス関連の展示品200点以上を備えている。ワイマール校に在籍していた学生の作品が見どころだ。後にパイプ製のワシリーチェアを製作するマルセル・ブロイヤーが学生時代に製作した梨材の椅子や子供用の椅子、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルドとカール・ジュカーがモホリ・ナギの絵画にインスピレーションを得て金属工房で製作した半球シェードの卓上ランプがある。
設計 Heike Hanada
バウハウス創立100年を記念して2019年4月に新たにオープンした博物館。バウハウス関連の展示品200点以上を備えている。ワイマール校に在籍していた学生の作品が見どころだ。後にパイプ製のワシリーチェアを製作するマルセル・ブロイヤーが学生時代に製作した梨材の椅子や子供用の椅子、ヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルドとカール・ジュカーがモホリ・ナギの絵画にインスピレーションを得て金属工房で製作した半球シェードの卓上ランプがある。
Photograph credits:
Bauhaus Museum Weimar– view from the northwest. © Steffen Schmitz (Carschten) / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-4.0
Neubau des Bauhaus-Museums in Weimar, April 2019, kurz nach der Eröffnung. © Geolina163 / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-4.0
Bauhaus Museum Weimar– view from the northwest. © Steffen Schmitz (Carschten) / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-4.0
Neubau des Bauhaus-Museums in Weimar, April 2019, kurz nach der Eröffnung. © Geolina163 / Wikimedia Commons / CC-BY-SA-4.0
ハウス・アム・ホルン
Haus Am Horn
1923
Haus Am Horn
1923
住所 Am Horn 6, 99421 Weimar
設計 Georg Muche and Adolf Meyer
グロピウスがチューリンゲン邦政府にバウハウスの成果を見せるように求められて建設した陸屋根の四角い実験住宅。アムホルン通りに住む一家族を想定し、中央のリビングルームを、主人の部屋、その妻の部屋、子供部屋、ゲストルーム、キッチン、仕事部屋が囲む。内装はすべてバウハウスの工房で製作した。リビングにはマルセル・ブロイヤーの家具が置かれた。ダイニングには市松模様の絨毯があった。アルマ・ブッシャーは、子供部屋に家具や木製のカラフルな玩具「小さな造船ゲーム」を設計して展示した。ベニータ・コッホ・オッテが設計した合理的なキッチンには、テオドール・ボーグラーが制作した陶製のキャニスターが置かれた。ピーター・ケラーは、バウハウスの3色(黄色、赤、青)を用いた揺りかごを展示した。
設計 Georg Muche and Adolf Meyer
グロピウスがチューリンゲン邦政府にバウハウスの成果を見せるように求められて建設した陸屋根の四角い実験住宅。アムホルン通りに住む一家族を想定し、中央のリビングルームを、主人の部屋、その妻の部屋、子供部屋、ゲストルーム、キッチン、仕事部屋が囲む。内装はすべてバウハウスの工房で製作した。リビングにはマルセル・ブロイヤーの家具が置かれた。ダイニングには市松模様の絨毯があった。アルマ・ブッシャーは、子供部屋に家具や木製のカラフルな玩具「小さな造船ゲーム」を設計して展示した。ベニータ・コッホ・オッテが設計した合理的なキッチンには、テオドール・ボーグラーが制作した陶製のキャニスターが置かれた。ピーター・ケラーは、バウハウスの3色(黄色、赤、青)を用いた揺りかごを展示した。
Photograph credits:
Building exterior © Yuki Sugihara
Haus am Horn, Weimar. Aerial view. © Raimond Spekking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
© Raimond Spekking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Interior photos © Rainer Halama / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Dining room, looking through into the children’s room, November 2011 © Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Toy, Siedhoff-Buscher’s ship-building game /アルマ・ブッシャーの造船ゲーム/ © Chinnian / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2
Cradle, Querschwingende Wiege, Peter keler, culla, 1922 / ピーター・ケラーの揺りかご / © Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3
Building exterior © Yuki Sugihara
Haus am Horn, Weimar. Aerial view. © Raimond Spekking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
© Raimond Spekking / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Interior photos © Rainer Halama / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Dining room, looking through into the children’s room, November 2011 © Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4
Toy, Siedhoff-Buscher’s ship-building game /アルマ・ブッシャーの造船ゲーム/ © Chinnian / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2
Cradle, Querschwingende Wiege, Peter keler, culla, 1922 / ピーター・ケラーの揺りかご / © Sailko / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3
3月の犠牲者のための記念碑
Monument to the March Dead
1922
Monument to the March Dead
1922
住所 Historischer Friedhof Weimar, 99425 Weimar
設計 Walter Gropius
ヴァイマール都市博物館は1920年3月のクーデターの犠牲者のための記念碑を募集し、グロピウスの建築設計事務所は「落雷」を生き生きとした精神の象徴として提出した。1920年3月から制作し、1922年5月にワイマール中央墓地に落成した。1936年にナチスは国家社会主義の視点から「退化した芸術」とみなして破壊したが、1946年に若干異なる形ではあるがコンクリート製で再建された。来場者は表現主義の造形の中央に立つことが出来る。
設計 Walter Gropius
ヴァイマール都市博物館は1920年3月のクーデターの犠牲者のための記念碑を募集し、グロピウスの建築設計事務所は「落雷」を生き生きとした精神の象徴として提出した。1920年3月から制作し、1922年5月にワイマール中央墓地に落成した。1936年にナチスは国家社会主義の視点から「退化した芸術」とみなして破壊したが、1946年に若干異なる形ではあるがコンクリート製で再建された。来場者は表現主義の造形の中央に立つことが出来る。
Photograph credits:
Monument to the March Dead © Yuki Sugihara
Black and white photo, public domain.
Monument to the March Dead © Yuki Sugihara
Black and white photo, public domain.
文章および写真はOpa Press『NICHE 04』より転載、加筆したものである。
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