NIPPON BAUHAUS SOCIETY
日本バウハウス協会宣言
DECLARATION
日本バウハウス協会を設立します
今なぜバウハウスなのか
私たちのデザインはどこに向かうのか
日本の創造性はどうあるべきか
多様性とモダニズムの根本がここにある
1919年ヴァイマルに創設されたバウハウスは、20世紀の建築とデザインの礎を築いた国際色豊かな芸術学校です。新しい教育、ユニークな発想、シンプルな素材、形と機能で今日のデザインを実現しました。バウハウスには理念があります。わずか14年間で閉校しましたが、影響を受けた人々が世界中にその精神を伝えました。21世紀の多様性と混迷の社会を生き抜く時に、バウハウスの創造性が私たちと智慧の源泉となるのです。
一般社団法人 日本バウハウス協会は、ドイツのバウハウス研究機関と提携し、バウハウスの理念を啓蒙する日本で唯一の非営利団体です。
バウハウスから本質を見る目を養おう
ヴァイマル共和国で1919年に創設されたバウハウスは、第一次世界大戦直後からナチスが選挙で勝利し政権をとるまでの14年間という短い間に、総合芸術をとなえ、近代の建築とデザインの礎を築きました。
産業革命の後に、ヨーロッパでは製品の品質低下が相次ぎ、ドイツヴェルクブント(工作連盟)は経済の活性化に向けて工芸と機械の在り方を論じました。初代校長ヴァルター・グロピウスはバウハウスを開校し、国際色豊かな教員と学生と共に、絵画、彫刻、グラフィックデザイン、タイポグラフィ、プロダクト、舞台、建築に挑みました。ヴァイマル、デッサウ、べルリンの3つの校舎を移動し、ハンネス・マイヤーとミース・ファン・デル・ローエを歴代の校長に迎えながら、理想の社会の実現を目指して生活のトータルデザインを実現していきました。
こうして伝統的な手工芸技術と工場の大量生産技術の融合が始まりました。産学共同の取り組みから木製玩具、照明、スチールパイプの椅子が生まれ、ガラスと鉄とコンクリートで構成されたデッサウ・バウハウス校舎は新時代の象徴になりました。女性の参画や、グロピウスの自由闊達な精神と熱心な活動の成果は瞬く間に世界に伝わり、幾何学的な造形や、限られた素材と色彩で構成したデザイン国際様式の先駆けとして普及していきました。バウハウスはモダニズムの出発点となり、戦後の日本やドイツ連邦の教育制度を主導し、デザイン教育に大きな影響を与えました。
ユネスコの世界遺産に登録された「ベルリン、ヴァイマル、デッサウ及びベルナウのバウハウスとその関連遺産群」は、今なおアクセス可能な知の源泉です。一般社団法人日本バウハウス協会はドイツのバウハウス・デッサウ財団、ベルリン・バウハウスアーカイブ、ヴァイマル・バウハウスミュージアムと提携し、バウハウスの最新情報およびその教育とデザイン理念を日本に伝えます。豊かさの本質を問い、教育、建築、デザインを再考する時に、バウハウスがその羅針盤となることでしょう。