NIPPON BAUHAUS SOCIETY
バウハウスに一流のアーティストが集められた
by 日本バウハウス協会

形態教育という教育を世界で初めて導入したバウハウス。

教授陣(Unidentified Artist, 1926)

1919年当時、職人を育てる学校として手工芸美術学校、美術学校が存在していた。
バウハウスを設立するにあたり、全く新たな芸術家を育てるために、手工芸技術と芸術の両面から教育することを求めていた。そのためにバウハウスはパウル・クレー、カンディンスキーといった芸術家を教授として招聘した。このことで全く新しい形態教育という教育システムが生まれたと言える。
アーティストがアーティストの大切にしていることを人に教える際にいかに分かりやすくするか、カリキュラムも実にユニークなものであったと言える。
人間の発想を促すためには日頃より脳内の内的情報を蓄積しておかなければならないと言われている。また、好奇心を持って入ってきた情報は、脳内の内的情報と一体化して新たな発想につながる。
日本でも、一流アーティストが教授になることが多い。バウハウスの形態教育が今でも大切なこととして採用されている。
技術教育から考える、創作する発想を求めた発想こそバウハウスの教育革命であったと言える。

城井廣邦(日本バウハウス協会専務理事)