NIPPON BAUHAUS SOCIETY
バウハウスの日本人
by 日本バウハウス協会
山脇道子(「バウハウスと茶の湯」新潮社 カバー写真より)

バウハウスには4人の日本人留学生がいた。
水谷武彦、山脇巌、山脇道子、大野玉枝である。1919年から1933年までバウハウスには毎年150人から200人の学生が在籍していた。女性比率は20%から50%に及んだ。外国人比率も高く17%から33%いたが、日本人は14年間で4人に留まった。
2018年「バウハウスへの応答」展における水谷武彦の作品「素材研究―三つの部分からなる彫刻」からも、日本人留学生は慣れない異国で新たなデザイン理念を受け入れながら悪戦苦闘していたことが分かる。
バウハウスの独創的なカリキュラムをこなしながら彼らは自らの探求を繰り返し、その成果を帰国後に広く普及させようとしていた。

私は大学時代、山脇巌から教えをいただいた一人です。大学に入って、「日大芸術学部はバウハウスです。」と言われたことを覚えていますが、山脇先生がどの様な学生時代を送ったのか、何を学び何を得たのか、もっとお話をしたかったことを思い出します。バウハウスとはどんな学校で、グロピウスとはどんな先生で、バウハウスで学んだことが当時の授業にどう生かされているのか、など聞きたいことがいっぱいです。
皆様が持つエピソードがあれば是非教えてください。

城井廣邦(日本バウハウス協会専務理事)