ハウス・アム・ホルンが完成して 100 年になる。ハウス・アム・ホルンが生まれる少し前に第一次世界大戦が終わり、ドイツは莫大な賠償金を払わされ、厳しい社会環境の中にあった。
復興のために新たな産業を生む必要があった。バウハウスは手工芸とデザインを一体化させ、工業生産可能なシンプルデザインを生んだ。何事も意味を明確にして、何故このデザインが生まれたかを示してきた。そのデザインプロセスは実に論理的で、多くの人達の共感を生み、世界に広がった。
グロピウスは政府からバウハウスの成果を示すように求められた。その時、展示会で完全なるモデルハウスを発表した。設計はゲオルグ・ムッフェと各工房の学生達であった。「ただ単に家を建てるのではなく、今、家に何が求められているかという課題から、子育てに良い家づくりの発想が生まれた。」とヴァイマール在住バウハウスクラシック財団元研究員のジーベンブロート氏は語った。
ハウス・アム・ホルンのゾーニングを見ると、家の中心に 6m×6m高さ 4.5mのリビングが位置しており、家族のための交流リビングという役割が見て取れる。
奥には主婦のためのキッチン&ダイニングがあり、そのキッチンを抜けて子供部屋に入る。必ずママと顔を合わせて「いってきます」「ただいま」が言えるように配慮されている。子育てにとって大切なことは親と子のコミュニケーションであると100 年前に気づいていた。天井の高いリビング、1 日中太陽の光が差し込む天井の光窓は、光の差し込む明るい生活が子供の感性を磨くために大切であると考えていたことを示している。さらに、子供部屋のインテリア家具は青・赤・黄の原色を使ったメリハリのあるデザインで、子供の心の中にある感性を刺激したに違いない。また、子供部屋から庭に出られるドアがあり、自然との触れ合いを生む様に配慮されている。
子供は生活の中で自然の豊かさを得る。
子育てを人としての感性から考えた家づくりがハウス・アム・ホルンである。豊かな家づくりが 100 年前に生まれていたことに驚かされる。
城井廣邦(日本バウハウス協会専務理事)